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東郷青児記念 損保ジャパン日本興亜美術館
東郷青児記念 損保ジャパン日本興亜美術館
〒160-8338 東京都新宿区西新宿 1-26-1
損保ジャパン日本興亜本社ビル 42 階

       

みんなの レオ・レオーニ

『スイミー』の原画がスロバキアからやって来る

READING LEO LIONNI, AGAIN.
    『Frederick』 『Geraldine, the Music-Mouse』 『Cornelius』 『Swimmy』 etc

レオの絵本―『フレデリック』 『おんがくねずみジェラルディン』 『コーネリアス』 『スイミー』 ―など、など

レオ・レオーニという名前を知らなくても、『スイミー』 という絵本を知っている方は多いいのではないでしょうか。

 赤い色をした兄弟たちの中で、唯一黒い魚の物語 『スイミー』。 小学校の教科書に掲載され、日本全国で親しまれています。 作者のレオ・レオーニ (1910-1999) は、イタリアやアメリカでグラフィックデザイナーとして活躍した後、『あおくんときいろちゃん』 で、初めて絵本の世界に足を踏み入れました。 ねずみの 『フレデリック』 や、しやくとりむしの 『ひとあし ひとあし』 など、小さな主人公たちが 「自分とは何か」 を模索し、学んでいく物語を、水彩、油彩、コラージュなど様々な技法を用いて描きました。

 本展では、ヨーロッパとアメリカを移動し続けたレオーニの波乱の生涯を、作品と重ね合わせながら紹介します。 絵本作家、アート・ディレクターとしての仕事、絵画、彫刻など幅広い活動を紹介し、レオーニが子どもの絵本に初めて抽象表現を取り入れるに至った道筋にも光を当てます。


会期: 2019 7/13 [土]~ 9/29 [日] ( ただし、9/16、9/23 は開館)巡回展は終了しました。
休館日:月曜日
開館時間:午前 10 時~午後 6 時まで
   ※いずれも入館は閉館30分前まで
会場: 東郷青児記念損保ジャパン日本興亜美術館
〒160-8338 東京都新宿区西新宿1-26-1 損保ジャパン日本興亜本社ビル 42 階

会期: 2019 12/7 [土]~2020 1/10 [金]
会場:長島美術館 (鹿児島市武)
主催:長島美術館、朝日新聞社

会期: 2020 2/28 [金]~ 5/10 [日] 巡回展は終了しました。
会場:沖縄県立博物館・美術館(那覇市おもろまち)
主催:一般財団法人沖縄美ら島財団、朝日新聞社



'2019 7_12 「 みんなの レオ・レオーニ展 」 のプレス内覧会の会場内風景です。 画像をクリックすると大きな画像でご覧いただけます。

「みんなの レオ・レオーニ展」東郷青児記念 損保ジャパン日本興亜美術館

みんなの レオ・レオーニ」 展
プレス内覧会 & ギャラリートーク & 説明会
東郷青児記念 損保ジャパン日本興亜美術館 '2019 7_12


世代を超えて日本中で愛されている
絵本 『スイミー』 のレオ・レオーニ!

本展覧会 「 みんなの レオ・レオーニ展 」 図録、ギャラリートーク、チラシより参考に、抜粋文を掲載しています。

展示構成
 本展覧会では、大きく分けて 4 つの、レオ・レオーニの人生のキーワードで構成、レオーニの人生と重ね合わせながら作品を読み解いてゆく、というコンセプトで成り立っています。 展覧会は、制作年代ごとではなく レオーニの芸術作品を通してレオ・レオーニの全貌を紹介しています。

Chapter 1. レオとアート
絵本の紹介(『フレデリック』―ちょっとかわったねずみのはなし 1969 年、『おんがくねずみ ジェラルディン』―はじめておんがくをきいたねずみのはなし 1979 年、『マシューのゆめ』―えかきになったねずみのはなし 1992 年、…絵本の主人公はここではすべてねずみが主人公)、「1940~60年代の油絵」、「黒いテーブル」
Chapter 2. 自分探し
絵本の紹介(『チコと きんいろの つばさ』 2008 年、『アレクサンダ と ぜんまいねずみ』―ともだちをみつけたねずみのはなし 1975 年、『ペツェッティーノ』―じぶんをみつけたぶぶんひんのはなし 1975 年、『コーネリアス』―たつてあるいたわにのはなし 1983 年)
Chapter 3. 平和を求めて
絵本の紹介(『日知足ひとあし』―なんでもはかれるしゃくとりむしのはなし 1975 年、『あいうえおの き』―ちからをあわせたもじたちのはなし 1975 年、『みどりの しっぽの ねずみ』―かめんにとりつかれたねずみのはなし 1973 年、『ぼくのだ! わたしのよ!』― 3 びきのけんかずきのかえるのはなし 1989 年、『 6 わのからす』 1989 年)、「グラフィックデザイン」、「空気」
Chapter 4. リアル?フィクション?
絵本の紹介 (『はまべには いしが いっぱい』 1979 年、『せかい いち おおきな うち』―りこうになったかたつむりのはなし 1969 年、『うさぎを つくろう』―ほんものになったうさぎのはなし 1982 年)、「想像肖像」、「平行植物」


'2019 7_12 「 みんなの レオ・レオーニ展 」 のプレス内覧会の作品展示風景です。
 「 みんなの レオ・レオーニ展 」図録、チラシ などからの抜粋文章を掲載しています。 画像をクリックすると大きな画像でご覧いただけます。

Chapter 1. レオとアート

アートは、レオーニにとって子どもの頃からそばにある、とても身近なもの。(芸術に囲まれていた、レオの子ども時代)
絵本の中のマシューのように、きっと芸術からいろいろなものを受け取って育ったのでしょう。(絵本の主人公は、レオの分身)
レオーニとアートの素敵な関係を見ていきましょう。

レオ・レオーニ No.18《ハロウィーン》、cat.19《ジプシー》、cat.20《ヨーリオの娘(オイディプス王)》アニー・レオーニ氏蔵
・cat No. 18/・cat No. 19/・cat No. 20
レオ・レオーニ No.10.11.12.13《おんがくねずみ》アニー・レオーニ氏蔵
・cat No. 10/・cat No. 11/・cat No. 12/・cat No. 13

レオ・レオーニ ・cat No. 18 《ハロウィーン》 1944 年 油彩、キャンバス 51.0 x 71.5 cm アニー・レオーニ氏/・cat No. 19 《ジプシー》 1945 年 不透明水彩、キャンバス 57.0 x 45.5 cm アニー・レオーニ氏/・cat No. 20 《ヨーリオの娘(オイディプス王) 1946 年 不透明水彩、キャンバス 38.5 x 46.5 cm アニー・レオーニ氏
レオ・レオーニ 『おんがくねずみ ジェラルディン』 (Geraldine, the Music-Mouse) 原画( 7 点 ・cat No. 10.12.13.?.?.?.?) 1979 年 色鉛筆、鉛筆、紙 51.0 x 63.6 cm アニー・レオーニ氏

・右 1940~60 年代の油絵 子どもの頃から芸術家になることを夢見ていたレオーニは、20 代から油絵を描き始め、様々なスタイルを試して自分の表現を追求していきました。 1930 年代には、短期間ですが、後期未来派の運動にも参加しています。 1947 年に、ニューヨークのノーリスト・ギャラリーで初めての個展を実現させ、尊敬していた画家、ベン・シャーンからも評価されました。 No. 19 「ジプシー」 は、その時出品された作品のひとつです その後一年間、戦後のイタリアへ戻って絵画制作に集中し、アーティストとしての自分を確立していきました。
・左 『おんがくねずみ ジェラルディン』 レオーニの絵本にはめずらしい女の子が主人公の作品で、音楽を知らないねずみが音楽家になるお話。 ジェラルディンが見つけたチーズの中から現れたフルートを持ったねずみの彫像。 それが奏でる音楽にジェラルディンは夢中になり、やがて自分でも音楽を奏でるようになる。 レオーニの母親は有名なオペラ歌手で、レオーニ自身も幼少期に母親の歌う歌を聞きながら、自然と音楽を身につけた。



Chapter 3. 平和を求めて

レオーニの生きた時代は、戦争の時代でもありました。(亡命先のアメリカで)
ときにはストレートに、ときにはふくみをもたせて、作品をとおして平和を訴えました。(絵本を通じて描かれる「平和」)    
当時の社会背景をふり返ると、レオーニの思いが浮かび上がります。

レオ・レオーニ《グラフィックデザイン》《空気》アニー・レオーニ氏蔵
・cat. 71/・cat. 72/・cat. 73/・cat. 77/・cat. 78/・cat. 79
レオ・レオーニ《ひとあし ひとあし》アニー・レオーニ氏蔵
・cat. 49./・cat. 50/・cat. 51

レオ・レオーニ 『グラフィックデザイン』 ・cat No. 71 ニューヨーク近代美術館創立 25 周年記念ポスター 1954 年 印刷、紙 27.0 x 53.0/・cat No. 72 『ザ・ファミリー・オブ・マン(人間家族)』 表紙 1955 年 印刷、紙 63.0 x 44.5cm/・cat No.73 ユネスコポスター「世界公開」 1955 年 印刷、紙 55.0 x 34.2cm/ 『空気』 ・cat No. 77 「空気」 シリーズ:出会い 1986 年頃 油彩、キャンバス 79.5 x 114.5cm/・cat No. 78 「空気」 シリーズ:浄夜その1 1986 年頃 油彩、キャンバス 115.0 x 80.0cm/・cat No. 79 「空気」 シリーズ:橋 1986 年頃 油彩、キャンバス 80.5 x 120.5cm 各、アニー・レオーニ氏蔵
レオ・レオーニ 『ひとあし ひとあし』(Inch by Inch) 原画 (5 点) (・cat No. 49. 50. 51) 1960 年 水彩、パステル、コラージュ、紙 51.0 x 63.6 アニー・レオーニ氏蔵

・右 『グラフィックデザイン』 「デザインをするということはパブリックな行為であり、パブリックな責任をともなうものです」 とレオーニは述べています。 常にアーティストの社会における役割を意識していました。 1930 年代のミラノでグラフィックデザインの仕事を始めましたが、レオーニの作品からは、油絵と同様、物語が感じられるものが多く見られます。 アメリカで成功して、アートディレクターになっても、自分自身でイラストレーションを描いたり、レイアウトするなど、手を動かすことを続けていました。 20 年以上にわたる 「物語る」 デザイナーとしての作業の積み重ねは、しっかりと絵本作りにつながっていきます。
・左 『ひとあし ひとあし』―なんでもはかれるしゃくとりむしのはなし 小さいが賢いしゃくとりむしが主人公。 自分を食べようとするコマドリに、「いろんなものの ながさを はかるんだ」 と言って持ち前の知恵でピンチを乗り切ると、次々と鳥たちのからだをはかることに。 最後には、ナイチンゲールの歌を測れとおどされるが・・・・・・。 レオーニにとって 「世界平和」 は重要なテーマだった。 ナイチンゲールの無理難題に答えるふりをして逃げ切る結末は、レオーニ流の不戦の誓いだったのだろうか。 コルデコット賞次点作。



'2019 7_12 「 みんなの レオ・レオーニ展 」 のプレス内覧会の会場内風景です。 画像をクリックすると大きな画像でご覧いただけます。

レオ・レオーニ(1910-1999)

レオ・レオーニ LEO LIONNI (1910-1999) ―プレス内覧会の会場内の映像より―

レオ・レオーニ (1910-1999) 年 譜 ―「レオ・レオーニ展」 図録からの抜粋文―

・1910 年

オランダのアムステルダムで生まれる。 父ルイス・レオーニはダイヤモンド研磨工だったが、後に会計士となり、母エリザベト・グロソウはオペラ歌手だった。

・1920 年頃

9 歳の時から叔父ピート・グロソウ(母の弟)の指導のもとで国立美術館へ通い、デッサンの基礎を学ぶ。 叔父ルネ―(母の妹の夫) がコレクションしていたピカソのキュビスム時代の肖像画やデ・キリコの作品など、前衛芸術の作品に囲まれて育つ。 こうした家庭環境が、幼少期のレオーニの人格形成に重要な役割を果たした。

・1925-28 年

アメリカから、一家はイタリアのジェノヴァに移住。 1 年間家庭教師についた後、ヴィットーリオ・エマヌエーレ二世技術高校に入学。 28 年、チューリッヒ大学経済学部に入学。

・1931-35 年

12 月末、15 歳の頃に知り合ったノーラ・マッフィと結婚。 この頃、イタリア未来派のリーダ、フィリッポ・トンマーゾ・マリネッティと出会い、未来派の運動を勧められる。 32年、長男ルイス(マニー)誕生。 33 年、ノーラ夫人と息子マニーとともにオランダへ帰国。 しかし、オランダでの仕事や生活が気に入らず、年末に家族とともにミラノに移住。 35 年、ジェノヴァ大学経済・商学部を卒業。

・1939 年

イタリア政府により差別的な人種法が公布され、ユダヤ人であるレオーニはアメリカに亡命を余儀なくされる。 秋、ノーラ夫人、マニー、パオロとアメリカで再会。 フィラデルフィアの広告会社N.W.エイヤー・アンド・サン社に入社。

・1947-48 年

ニューヨークのノーリスト・ギャラリーで初めての個展を開催し、油絵 20 点と水彩画 8 点を展示する。 第二次世界大戦後、ようやくイタリアへ戻り、エイヤー社から 1 年間の休暇をもらい、絵画制作に打ち込む。 一家はラヴァーニャに住む。 ラヴェンナで 3 ヵ月間、モザイクの技術の習得に熱中する。 48 年 10 月にアメリカへ戻り、エイヤー社を退職。 フリーランスのグラフィックデザイナーとしてニューヨークにスタジオを構え、CBS放送とオリベッティ社の広告を手がける。 1949 年から 1962年にかけて 『フォーチェン』 誌とタイム社のアートディレクターを務める。

・1950-55 年

この頃、ニューヨーク近代美術館、メトロポリタン美術館、ユネスコ、アメリカ癌協会の広告を手がける。 1954 年、三越ギャラリー(東京)で個展を開催。 1955 年、全米アートディレクター協会より 55 年度アートディレクター賞を授賞。 また 『プリント』 誌の編集長となる。 1951 年から 1958 年にかけてオリベッティ・アメリカ支店のデザインディレクター。

・1964-67年

『スイミー』 がコルデコット賞次点作となる。 『チコときんいろのつばさ』 がアメリカ図書館協会最優秀作品として指定される。 この頃から画家と絵本作家としての活動を両立。 67 年、『スイミー』 がブラチスラバ世界絵本原画展で金のりんご賞を受賞。 ジュ―リオ・ジャニー二とともにインドのアーメダバードの国立デザイン研究所に滞在し 「スイミー」「フレデリック」のアニメーション・フィルムを制作する。

・1977-79 年

『平行植物』 で扱った主題の結実として、「プロジェクト・幻想の庭」 と題する彫刻の制作を重ねる。 ヴェローナ、フランクフルト、ケルン、ニューヨークで展示。

・1986-99 年

ジュ―リオ・ジャニー二とアントネッラ・アッバティエッロとともに、「ぼくのだ! わたしのよ!」「さかなはさかな」「コーネリアス」 のアニメーション・フィルムを制作する。 96 年板橋区立美術館(東京) を皮切りに、4 会場で 「レオ・レオーニ展」 開催。 1999 年 10 月 12 日、イタリア・トスカーナ―で老衰により死去。 享年 89 歳。

ギャラリートーク: 松岡希代子 (板橋区立美術館 副館長)「みんなの レオ・レオーニ展」
 私たちにとっては、2 回目の 『レオ・レオーニ展』 に関わることができて嬉しく思っております。 最初の時から、ずいぶん時間が過ぎていて、最初の 『レオ・レオーニ展』 では、レオーニさんは御病気はありましたが、トスカーナのアトリエで過ごしておられました。 それで、レオーニさんと近くの村へ行ったり、庭を散歩したり、素晴らしい時を過ごすことができました。…この展覧会は、もともとイタリア人の 2 人のキューレターと一緒に企画したものです。 2人のイタリア人の優れたキューレターが 『レオ・レオーニ』 の企画を持っていて、私と知り合いになり一緒に、共同する事になりました。 イタリア人のサポートを森泉文美も一緒に加わって、4 人で始めました。 展覧会をするにあたってレオーニさんを呼んで板橋区立小学校でワークショップを行ったり、講演会を行ったり、レオーニさんも色々計画を立てておりました。 御病気パーキンソン病を患っていて薬の副作用で突然、今までのような旅行など、できない状況に陥ってしまい、日本に行けない、じゃ、自分に何ができるか、自分の映像を作って、日本の人に見てもらったら、と考え 森泉文美 が浮かび上がり、森泉文美さんは、ご主人がテレビ局にお勤めで、森泉文美も映像を撮られると レオーニ は思い起こします。 …ということで、会場で上映のレオ・レオーニさんのイタリア生活の映像の作品ができました。 私の印象では、レオ・レオーニさんは非常にポジティブな方で、病気でも何が自分にできるのかを考えて実行する人でした。…1910-99 年まで、20 世紀を生き抜いた方の生涯とその作品をあわせて観て頂く事によって、より絵本を理解していただけると、この展覧会を企画いたしました。…

ギャラリートーク: 森泉文美 (コーディネーター、翻訳家、映像作家)「みんなの レオ・レオーニ展」
 「会場内でレオ・レオーニの映写上映中」―このビデオ作品の誕生は、レオ・レオーニ自身が監督で 、実はレオーニはインナー監督になりたかった。 お父さんの反対にあってしまい、その夢はまったく断念してしまいましたが今回の映像を通して、やっと自分で監督する事ができたという、このビデオ作品はレオ・レオーニの作品でもあります。 何処で、どの場面を撮るかすべてレオーニが描きそれに対して、こちらの方が良いなどとアドバイスをしながら製作した作品です。 ある意味で私と夫の作品というよりもレオ・レオーニの作品としてご覧ください。 



お問合せ:03-5777-8600 (ハローダイヤル)
美術館サイト:http://www.sjnk-museum.org/

主催:東郷青児記念 損保ジャパン日本興亜美術館、朝日新聞社
協賛:損保ジャパン日本興亜
企画協力:Blueandyellow,LLC、コスモマーチャンダイズィング、渋谷出版企画
協力:好学社、あすなろ書房、至光社



参考資料:「 レオ・レオーニ展 」 図録、プレス説明会、チラシ他
※画像の無断転載禁止


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